ノラ達の最期の言葉

2006年から沖縄で野良猫のTNR活動を行っております。

告別式も終わり・・・

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さき一昨日に、パパの自宅での告別式に行った。。

吉原の店のママさん連中も、たくさん、行った。

パパは、それだけ吉原では有名人・・というか、三十年あまり吉原で店を経営していたので、たくさんの

友人が居た。


向かいの、私がケンカしてしまった猫好きママさんに連れられ、初めて行くパパのおうち。。

遺影の笑顔が、未だにパパの死を理解できないでいる私の胸を締め付けた。。。

店の行く末が気になっていたが、とりあえず、残っている従業員で店を開ける。。という話で、翌日から

私は出勤した。

辛かった。

いつも、パパがいた店に、誰も居なかったこと・・・

パパが座っているイスも、そのまま置いてあり、植えたばかりのトマトの木も、そのままある・・・

向かいの猫好きママさんは、ずっと泣いていた。。

パパとは、十年あまりの付き合いだが、途中ケンカもしたという。。けど、年数を重ねるごとにより、

姉弟のような親近感が増し、いつも冗談を言い合いながら近所の連中を笑わせてきた。。。そのパパが

いないので、ママは、イスに座り涙を落としていた。。。


パパの死をキッカケに、私はママと、前の通りに仲良くなれた。。。

パパは、私とママさんに、キッカケを作ってくれた・・・・

そして昨日、ママからの電話で、パパの子供達の話し合いにより、お店をたたむことと決まった・・・

お店がなくなることになった。。。。


残された従業員で、パパのためにお店を続けたい・・・と、子供たちにお願いしていたけど。。。やはり

ダメだった。ただでさえ、吉原で働く。。というだけで世の中からはあまり良くは思われないのが現実。

子供さんたちも、前からそう思っていた・・・感じではあった。。私を含め、この店で二十数年働いて

いた女性も、店を去らなくてはならない。。。

たまたま、私と鬱のひどい友人は、明日から猫好きママさんの店で働けることになったのだが、他の

三名は行き先も分からない。。。

「この店で働いて、もし辞めていっても、義理と人情だけは忘れるな」

パパがいつも、私たちに言っていた言葉。。。

任侠の世界みたいだけど、パパはとても心の広い人間で、義理を重んじて損をしても守ってくれるような

人だった・・・そんな人がいなくなるのは、とても、寂しい。。。


江原さんを学び、霊的真理を理解し始めてきていても、やっぱり、こんなに突然に風のように去られては

辛いものがある。。。

人はいずれ「死」を迎えるものだけど・・・急にいなくなっちゃったら、寂し過ぎるじゃない・・・

あんな、心の温かい人はいなかった。。。年も七十四歳のおじぃだったけど、吉原のみんなに「パパ」

と呼ばれ愛されていた。。。

急性心筋梗塞だったけど。。。予兆を感じていながら病院に行くのを拒み続けたパパ。。入院中の奥さん

の事が気がかりで、パパは検査さえ受けなかった。。。従業員も、パパの家族もみんなで病院に行って

と、言っていたのに、全く聞き入れてくれなかったパパ。。。


亡くなるその日に、向かいの猫好きママさんと、隣りのビン屋の奥さんにジュースをおごり、お別れの

ような言葉を言っていたらしい。。二人はいつもの冗談にしか取らなかったという・・・そして私もパパ

が亡くなった深夜の時間帯に珍しく起きた。胸が苦しく、息苦しくて起きた。。。二時間くらい眠れずに

駐車場のノラ子たちの餌場に行き、ボーっとしていた・・・ノラ子が三匹着てくれて、少し落ち着き、

また眠った。。。その頃に、パパが天使になっていたなんて、夢にも思わなかった。。。

パパが、来てくれたんだ・・・と、理解した。。


明日からは猫好きママさんの店で働くが、向かいにパパの店がある。。。パパがいつも座っていた光景

がある・・・

辛いけど、生きるために働かなくてはならない。。。ノラ子たちの世話もあるので、私は安易に場所を

遠くに移ることも出来ないので・・・猫好きママさんの店に移ることにした。。。


今頃は、何をしているんだう。。。他のママさん連中は、「パパ、まだいるよー」と言ってる。

四十九日が終わるまでは、現世にいると思うので、パパが守ってきたお店が無くなるのは哀しいけど

吉原でもう少し、ガンバリマス。。。



画像は、パパが私のために作ってくれた鉢。

次は、パパがいつも座っていたボロ椅子に、育ったトマトの鉢です。。。

椅子に、パパがタバコを咥えながら座っていそうな気がしてならない。。。