ノラ達の最期の言葉

2006年から沖縄で野良猫のTNR活動を行っております。

ご心配かけました

るらです。

ご心配かけました。

コメントありがとうございます。ゆっくり、反させてくださいね。


明後日は、吉原ノラ子の保護予定日です。Rさんとも約束していますが、なかなか約束を守らないことも

あり難しいですが頑張りたいと思います。


また、私の記事が2チャンネルの猫駆除のスレに載っているようですね。私自身も見ました。

この件については、私はショックを受けてはいません。

悲しくなりました。それだけです。

同じ人間とは思っていません。次元が違うとしか感じませんでした。

なので、ショックも怒りも感じません。悲しさだけでした。

真の環境保護とは、生物を駆除すれば適うことではないと思っています。

なぜ、野良猫や野犬が存在するのか、原因を突き止めればすべては人間なのです。そのことに、気づいて

ほしいと思っています。

そろそろ、気づいては良いのではないでしょうか?

動物たちの保護活動を実行している方々は、もうすでに気づいているのです。

人間達がどれだけ好き勝手に動物たちを利用してきましたか?

オモチャのように欲しがり金で買い飽きたら捨てられる動物たち。

必要以上の肉の摂取。

恐怖心が良いエキスの出る方法だと、撲殺された犬たち。

頭を割られる猫たち。

生きたまま毛皮を剥がされる動物たち。

すべて人間の欲得やエゴで過剰に行われていたこと。

動物に権利は無いのでしょうか?

私は肉を食べませんが、それはそれで良いと思います。

以前は肉に対して「嫌悪感がある」と書きました。けど、今は違います。あの時書いたことに恥ずかしい

思いでいっぱいです。なぜなら、食肉にされるためだけに世に存在する動物たちに失礼だからです。食肉

にされる動物たちの想いを否定するような記事を書いたことに、反省しています。

私自身は食肉をやめていますが、それはそれで私自身の思いですので。

ただ、乱獲して種さえ危ぶまれている世の中。

どうでしょう?それは、おかしいと思います。

生態系を壊さないように、生き物を摂取することが私たち人間のすることであり、余れば捨てる世の中で

は、動物たちは浮ばれるのでしょうか?真の環境保護と言うのは、種の根絶を防ぐために共存共生を図る

べきことにも当てはまるのではないでしょうか?


野良猫を殺すことで環境保護に繋がると言うのは個人の考えです。

世界を見れば、そんなことをするのは小さいことだと思います。小さい人間のすることです。

「野良猫」「野犬」

どちらでも好きでなっているとは思っていません。生きているのは、必ず無責任な人間が関与していま

す。適当な餌やりなどで、生きながらえている犬や猫はたくさんいます。

その適当な餌やりをなくし、不妊・去勢手術を行い管理することで、繁殖も防ぎ、穏やかで人間を襲う

ような犬・猫にはならないはずです。

そう信じて、「地域猫活動」を実践してきました。

変化はありました。

苦情の出たお宅との和解。

発情・ケンカの音の減少。

頭数の制限。

近隣住民とのコミニュケーション。


吉原地区ではまだまだですが、私の住む地域では、明らかに変化があります。

ただ、現在少し困ったことがありますが、それは後々お話したいと思います。


私たち「地域猫」の活動をしている人間は、「増やす」ことではなく「減らす」ことに取り組んでいるの

です。

それだけは、理解していただきたいのです。

そして、私は猫が好きだからしているのではなく、する人がいないから始めたことも、知ってください。

誰かが始めないと、毎日処分されたりする動物たちが後を絶たないのです。

ガスで苦しみながら窒息死するのです。

犬も猫も、そうやって死ぬのです。

アウシュビッツと同じなのです。

動物たちが望まない死なのです。

家族として暮らしていた動物でさえ、そうやって死んでゆく子がたくさんいるのです。この場合は、私た

ち「地域猫」をしている人間にはどうしようもない問題です。救うことは出来ないのです。「地域猫

が、世の中に確立していないから、救えないのです。

ならばせめて、人間によって増やされたノラだけでも何とか出来ないか?という思いから、野良猫たちを

不妊・去勢手術をし、これ以上の繁殖を防ぎ管理して生きてゆける道を作ってあげることに辿りついたの

です。


話があちこちに飛んでしまいましたが、動物にも生きる権利はあると思います。

駆除という言葉は間違いだと思っています。

人間には考えるチカラがあり、原因を知り改善してゆくことが出来ます。それをただ殺すことだけに

使うのは間違いです。

地球というこの星で数え切れない生物たちの頂点に立つ人間が行うべきことは、チカラのない生物たちを

守ることではないでしょうか?

そして共生してゆく。

生物たちを通して人間同士の絆が深まれば、素晴らしい地球に、世界に、日本になるのではないでしょう

か?

大人たちが弱い者を慈しみ守ることにより、子供たちは無償の愛を知ることになります。そしてそれは

ずっと受け継がれてゆくかもしれない。

「愛」で溢れた地球に、社会になると思っています。大げさですが、弱いものを守りたいという気持ちは

人と人をも繋ぎます。知ることにより知識も増え理解も生まれてくるのです。

今までの経験です。

経験はやがてデータとなり、「地域猫」活動も社会に認められる第一歩に繋がるでしょう。その架け橋

を作ってゆくことが、私たち「地域猫」の活動をしている人間たちに与えられた使命なのです。

決してエゴでも自己満足でもないのです。

始まりは、全て私たち人間なのです。

その償いと言ったらおかしいかもしれませんが、動物たちが穏やかに私たち人間と「共生」出来る社会

を作ってゆくことが、大切なことではないでしょうか?


以上です。

長々と綴りました。

意味不明かもしれませんが、私の全ての思いです。