ノラ達の最期の言葉

2006年から沖縄で野良猫のTNR活動を行っております。

☆アボリジニ族☆

オーストラリアに五万年ほど前から生き続けていた人たちがいる。

アボリジニ族』。最近でも某テレビで放送されていたばかり。

アボリジニとは、『真実の人』という意味らしい。彼らは大地と交流して世界を維持するための儀式を

行っていると知られている。そしてテレパシー能力が高いという。

そんな彼らのメッセージを抜粋してみた。何か気づくあたり前のこと・・・


【ミュータント(私たち人間)は多くの信仰を持っているね。お前の道は私のとは違う、お前の救い主は

私のとは違う、お前の永遠と私のとは違う。だが、本当はすべての命はひとつなんだよ。宇宙の意図は

ひとつだけだ。肌の色はたくさんあるが、人類はひとつだ。ミュータントは神の名前や建物の名前、日付

や儀式で言い争う。神は地上にやってきたのか? その神の説教はどういう意味なのか? 

真実は真実だ。人を傷つけるのは自分を傷つけることだ。人を助けるのは自分を助けることだ。みんな同

血と骨を持っている。違いは心と意図だけだ。ミュータントは自分のことや人とのかかわりのことを

ほんの百年しか考えない。〈真実の人〉族は永遠に考える。われわれの祖先、まだ生まれない孫たちを

含めて、あらゆる場所の全ての命はひとつのものなんだ。】


ここでアボリジニ族が私たち人間を『ミュータント』(突然変異として生まれた異種)と呼ぶのは、

欧米人を指して呼ぶ言葉とされている。彼らの方がよほどミュータント的だけど、彼らにとったら

物質文明にまみれた私たち人間のことをミュータントと呼ぶらしい。それだけアボリジニ族の生き方が

本来の人間らしい生き方なんだろうと感じた。

そしてもう一節、私が感銘を受けた言葉がいろいろ・・・・。彼らと交流を試みた米国人女性『マルロ・

モーガン』女史が語った言葉。


【この部族によれば、人生とは動くこと、進むこと、変化することだ。彼らは生きている時間と生きてい

ない時間のことを話してくれた。怒りや失望、自己憐憫や恐怖を感じるとき人は生きていない。(中略)

息をしている人すべてが生きているわけではない。ネガティブな感情がどんなものか知るために試すのは

いいが、そこにずっととどまりたいとは思わないはずだ。たましいが人の形をとったとき、人は幸せや

悲しみ、感謝や嫉妬がどんな感情か知るように定められる。だがその経験を生かしてどの感情が辛いのか

、どれが楽しいのか学ばなければならない。】


人生とは動くこと、進むこと・・・ネガティブという感情を知ってもずっとはいられない。前に

行かなくては何も変わらない・・・・。生きることは「学び」であって、さまざまな経験が必要だから

私たちは辛さも苦しさも体験するんだろうね。「学び」が何もなく幸せだらけの人生では得るものも

少ないんだろう。幸せの方が楽でいいに決まっているけど、成長できなくては生きている意味が無い。

また、アボリジニ族が言うように、人を傷つけたら自分も傷つく、人を助けたら自分も助かる・・・

まさに『カルマの法則』で、生きてくことの全ては繋がって廻っているんだろうな。

自然と共に生きてきたアボリジニ族は、現代人が学ばなくてはならない存在だろう。