父が食道ガンと知ってから、父との思い出を考えたり。。
仕事仕事で、あまりボーッとは出来ませんが、自宅に帰り独りになると父の事を考えていました。
子供のころの冬は、必ずといって良いほど炬燵に寝てしまっていた私を、二階まで抱っこして寝かせてくれた思い出が一番記憶に残っています。
父の腕の感じ、温かさを覚えています。
昔からお酒と煙草が大好きでした。
まあ、病気になっても仕方ないのかな。。。
私は、母と性格が合わず父にべったりな子でした。
弟は逆で、母が好きなようでした。
実家は中小企業を経営していますが、母が父に内緒で株で失敗し、会社は多額の借金を抱えました。
結婚して家を出ていた私は、全く知りませんでした。全てを知ったのは、離婚して実家に一時戻った時でした。。
あの時、家族で話し合い隠している事を全て母は晒しました。2000万円ぐらい、借金を作ってしまっていました。
父は、ショックのあまり泣いていました。会社を経営することさえ、危うくなりました。
母は、父にみんなの前で離婚しますと言いました。。しかし、父は絶対に離婚はしないと断言しました。。
父は、母のことを深く愛していたことは知っていたので当たり前の答えなんですが。。
私としては、離婚して欲しかった気持ちが強かったのです。
弁護士などに相談をし、間に入ってもらい返済方法を決め、何とか会社は続いています。
父も、馬車馬のように働いてきました。
そんな父が、ますますアルコールに走り病になりました。。
私は、母が悪いと思っています。変な宗教にハマッたこともあったようで、実家には妖しげな仏像などもありました。
お布施も借金をしてまで払っていたのかな。。
父を苦しめた母を、なかなか赦すことは出来ず。。沖縄に来たのも母と離れたかったこともあります。
あれから14年。
電話だけですが、何かあれば両親とも話します。
猫ボランティアがあるので、未だに帰れませんが。。
父に、手紙を書きたいと思います。電話より、手紙の方が伝えられそう。
父が大好きだと言うことを。
帰りたいな。。
吉原、チィチィ
トーラ