ノラ達の最期の言葉

2006年から沖縄で野良猫のTNR活動を行っております。

☆引っ越しのきっかけ☆☆

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現在住んでいるペットOKのアパートに引っ越すことになったのは、あるノラ子を保護していたのを

家主に見られ、不動産からも出て行けと言われたからだった。ククは、三年以上住んでいても見つからな

かったけど、この保護したノラ子はすぐに見つかってしまった。このノラ子は、私が沖縄に来て選んだア

パートの一階の老夫婦が餌上げをしていた野良猫の産んだ子供だった。三匹産まれ、一階の方がよく玄関

先にご飯を置いていた。ククも、その方々に養われていた1匹。あの子は私が内緒で三階の私の部屋に抱

っこして連れてきた。あの頃は「地域猫」なんて言葉も知らない時期。私も『かわいそう』だけで、クク

を部屋猫にした人間だった。

この産まれたノラ子は五ヶ月くらいになると、ぴったりとみんな居なくなってしまった。始めは役所が

捕りに来たのかと思ったけど、それぞれ別の場所で生きているのを確認できた。どうやら近所の猫好きの

方がご飯を上げ生きていたようだった。そのうちの1匹、三毛猫がいた。この子だけは居所がわからず、

再会できたのは2年過ぎてからだった。産まれた場所に帰ってきたのだった。ただ、様子がおかしかっ

た。足もとがふらつき、ガリガリに痩せ、目もほとんど失明している状態だった。私は何とかこの子を

少しずつ馴らし、階段の踊り場の陰に隠れたところでご飯を上げ、様子を見ていた。直感したのは、もう

助からないほど酷い状態・・・ということと、最期に母猫のいる産まれた場所へと奇跡的に戻って来れた

んだろう・・・ということ。。母猫もすでに姿がなく、私はあきらめていた。ただ、この三毛猫は、最期

の場所としてここに帰ってきたんだろう。。。。。

三毛猫が帰ってきてから一ヶ月、徐々にこの子は私に擦り寄るようになり、足音と匂いで私を覚えた。

このままではいけない・・・病院に連れて行ったが、もう手遅れだと。。。言われた。エイズではなかっ

たけど、なるべくククとは触れないように三毛猫だけの場所を手作りで作った。そしてククと三毛とで過

ごす生活が始まった。。。。そのときに、たまたま水道管の点検に来ていた家主にカーテンを開けて出掛

けていたことから三毛が見つかり、翌日には早速不動産からの警告がきた。私は家主に「捨ててくれ」と

言われたので、「捨てません。引っ越ししますから、来月までは大目に見てください」とお願いし、現在

住むペットOKの部屋を見つけた。ククと三毛、そして私の三人で、堂々と新しい地で暮らすことができ

る・・・という嬉しさでいっぱいだつた。けど、三毛は薬の投与だけで、「命」は刻々と終わりに近づい

て行くのがわかる・・・・私は毎日祈った。どうか一緒に新しい地へと行けますようにと・・・引っ越し

までの一ヶ月間、三毛は私の膝の上に乗るくらい信頼してくれた。

そして、八月十日の夜、彼女は天使になった。

たまたまその日は江原さんの『天国からの手紙』の特番があった。楽しみにしていたので、ずっと見て

いた。三毛を置いている場所はキッチンの方で部屋からも確認できる。たまに見るとゲージから出てタイ

ルの上に寝そべっている。暑いのだろうね。。。と軽く考え私はテレビに夢中だった。

番組が終わり、私はトイレに立った。その時、三毛がふっと起きて一緒にトイレに入ろうとしたので、私

はドアを閉めた。そして出ると、待っている。ユニットバスになっており、浴室のタイルの方が涼しいの

かな?と思い、ドアを開けた。すると三毛は、タイルにパタンと横になった。そして気持ちよさそうにこ

っちを見ていた。ご飯はほとんど食べていなかった。

「もう寝るよ。ママは明日も早いよ。アンタも今日は暑いから、そこで寝たらいいよ。」

私は三毛に声を掛けた。三毛は笑っているような表情で私を見上げていた。電気を消し、ベッドにもぐりこんだ私・・・・・。ククがベッドに上がってくる。三毛とは仲が悪いけど、攻撃したりはしない。私はククを抱きながら眠った・・・・・・・

翌朝、三毛はそのまんまの状態で天使になっていた・・・・・・・

泣いた。涙が止まらなかった。最期を看取ってあげられなかった悔しさと、気づくこともなく眠っていた

自分に腹が立った・・・・。あの時、浴室のタイルに横になったのが精一杯のあの子の行動・・・

私の傍へ来たかったんじゃないか・・・・悔しくて悲しくて。。。どうしようもない気持ちでいっぱいだ

った。。。。一緒に引っ越しをして、「生」ある限り穏やかに暮らさせてあげたかった・・・けど三毛は

自分の生まれた場所から離れたくなかったのかもしれない・・・・。兄妹も母猫もいた、この場所で天使

になりたかったのかもしれない・・・・。遺骸は近くの林に埋めた。その場所に、私は花が咲くことを祈

った。そして引っ越しの前日、その場所には黄色い花が咲いた。三毛に私の想いが通じた証だった。

あの子に出逢い再会して、最期までいられたこと・・・私の中では大きな経験。初めて「死」というもの

を実感した貴重な経験。この体験は、今の私の糧になっている。そしてあの子や兄妹たちを守ることが出

来なかった当時の私をここまで変えてくれた、素晴らしい体験になっている・・・

後悔ばかりの出来事だらけだったけど、三毛のあかげで学び「愛」をたくさんもらえたことで、私は今も

頑張れる。。。。ありがとう。。としか言えないけど、あの子も虹の橋で再会できるから、いつまでも後

悔して悲しんでいられない・・・・。

今、縁あって私の前に現れてくれたノラ子たち、うちの子たちを終生見守ることが、三毛の願いでもある

と感じている。。。。


画像は、三毛が階段の踊り場で私の足跡を聞き出てきたところです。
次は、三毛が逝く少し前の写真です。
写真から携帯に写したので、画像は良くないです。